有名なダイヤモンド(15) 「フロレンティン」

Four-Cs

Famous Diamond

「フロレンティン」 THE FLORENTINE

黄色いダイヤは何処へ?

重量:137.27カラット

カラー:イエロー

クラリティ:エクセプショナリー クリア

カット:ダブルローズ

産地:インド?

フロレンティンの伝説は1477年に遡ります。

シャルル勇猛王はグランソンの戦いで戦死した時これを身に着けていました。

一人の農民がこれを拾い上げ黄色いガラスだと思って司祭に1フロリンで売却したと言われています。

このダイヤモンドについて述べている一番古い信頼できる資料は、ジャン バティスト タバルニエの6つの旅行です。

タバルニエは1657年にトスカナとフローレンスを訪れました。

そこを支配していたメディチ家のフェルディナンド2世大公は、彼に多くの宝と一緒に有名なこの石をタバルニエに見せています。

タバルニエによると「トスカナの大公のダイヤモンドは139カラットあり、どの方向のファセットもきれいに良い形にカットされているが、色めはいくらかシトロンの色に近い・・・」この石には後にフロレンティンの名前が付けられたとあります。(他にトスカン、トスカナ大公、オーストリアのイエローブリリアントとしても知られています。)

1737年のメディチの家系が消滅すると宝石(およびフローレンス市)の権利は、ロレーヌの公爵の手に移ります。

彼がオーストリアのマリア テレサと結婚した時、フロレンティンはオーストリアのクラウンジュエルとなりました。

1918年にオーストリア-ハンガリー帝国が解体した時、皇帝一族はクラウンジュエルのほとんどを携えてスイスに逃れ、この地で再びフロレンティンのミステリーが始まります。

ある者は召使いが盗んで南アメリカで売ったと言い、ある者は再カットされてペルシャのシャーと名付けられたと言います。

第2次世界大戦の終わり頃、フロレンティンはウィーンに戻ったという報告がありましたが、これには根拠がないことが判明します。

今でもその運命はわからないままなのです。

本文の参考資料並びにソース:GIA DIAMOND GRADING