有名なダイヤモンド(11) 「オーロフ」

Four-Cs

Famous Diamond

「オーロフ」 THE ORLOFF

インドからロシアに渡ったダイヤモンドと男の物語

重量:189.60カラット

色:記録なし

クラリティ:「例外的に純粋」

カット:ムガール・カット ローズ

産地:インド

オーロフの物語は嘘と事実が混じり合った繊維の様で、その糸口はスリランガムという街にあります。

この街には南インドで最も神聖な寺院の1つがあり、その寺院の一番奥の至聖所にはダイヤモンドの目を持った偶像が立っていました。

1700年代にはインドの支配とその富を求めてイギリスとフランスが戦っており、1人のフランス人脱走兵がこの寺院の偶像とその値踏みできないほど貴重な目の噂を聞きつけたのです。

異教徒は寺院に入ることすら出来なかったので、彼はヒンズー教に改宗した様に見せかけ寺院の作業員になり、遂には至聖所の監視者の役職を手に入れます。

ある嵐の夜、彼は偶像の一方の目をくり抜きましたが、恐怖心に耐えられずもう一方の目を残したまま寺院の壁を乗り越え、川へ飛び込み死に物狂いで逃げたのです。

彼はマドラスに行き、気味が悪いので直ちに石をイギリス人の船長に2000ポンドで売りさばきます。

それからも何人かの手に渡り、その石はアムステルダムにたどり着きます。

そこでこの石の噂が、ロシアの伯爵グレゴリー オーロフの耳に入ったのです。

オーロフは女帝カテリーナ2世の元恋人でした。

彼女の寵愛を取り戻すために、オーロフはこのダイヤモンドを9万ポンドで買い取りロシアへ持ち帰りました。

彼は1774年にこの途方もなく大きいダイヤモンドをエカテリーナに贈りました。

エカテリーナはこの贈り物を受け取り王笏に飾らせました。

見返りとして彼女は大理石の宮殿をオーロフに与えましたが、個人的にも政治的にも彼女の寵愛は他者に向けられたままだったので、1783年オーロフは狂気のうちにこの世を去ります。

くしくもその後、ダイヤモンドはオーロフと呼ばれる様になったのです。

1812年ナポレオンの大群がロシアに侵入しようとしていた頃、ロシアではオーロフをある司祭の墓に隠します。

ナポレオンはその場所を突きとめて奪いに行きますが、ダイヤモンドに触れようとした瞬間に司祭の亡霊が現れ冒とく者を激しくののしったので、ナポレオンはダイヤモンドを置いて逃げ去ります。

革命と戦争を経験しながら今日まで生き残ったオーロフは、現在でもモスクワダイヤモンド基金の主要な財宝の1つとして王笏の頂で強い輝きを放っています。

本文の参考資料並びにソース:GIA DIAMOND