Famous Diamond
重量:45.52カラット
カラー:ダークブルー
クラリティ:報告によるとフローレス
カット:オーバルブリリアント
産地:インド(?)
大抵のアメリカ人が、有名なダイヤモンドとして「ホープ」の名を答えるほど、その名前とそれを所有するものに不幸が訪れるという「呪い」の話は有名です。
その起源についてしばしば議論されますが、ヘンリーフィリップホープがこの石を購入した1830年から数年しかさかのぼれず、それ以前の事は謎につつまれています。
1839年にヘンリートーマスホープの手に渡たり、彼の死後未亡人が娘孫のフランシスに、姓もホープに変えることを条件に遺贈します。
フランシスホープ卿はギャンブルにのめりこみ破産し、既に有名だったこのダイヤモンドを1900年に売り渡します。
その後10年間、ホープは何人かの手に渡り、所有者がニューヨークのディーラーからトルコの外交官、フランスのダイヤモンドの専門家、フランスのジュエラーへと変わります。
1910年にピエールカルティエが購入し、1911年にエバリンウォルシュマクリーンに売り渡します。
それ以前に噂は無かった事から、カルティエもしくはその販売員が、この時マクリーン夫人の興味をそそるために、ホープの呪いが考え出されたのだと推測されています。
マクリーン夫人は、ワシントン社交界の中心人物であり変わり者でもありました。
この有名なダイヤモンドをおもちゃの様に扱い、飼い犬に着けさせたり、キャッチボールさせたり、友人に貸したりしたと言われています。
しかし、人生は輝いているばかりではありません。
マクリーン夫人の息子は9歳の時に自動車事故で死亡、夫は政治的問題をおこし彼女と離婚し狂気のうちに死亡しました。
娘は自殺し、彼女自身も薬物中毒となりました。
彼女の一生がこのダイヤモンドの評判に暗い影を落とす事になり、その呪いに信憑性を加える事になったのです。
マクリーン夫人は1947年に死亡し、その2年後ハリーウィンストンがホープを購入、慈善金を集める旅行を経て1958年11月10日に、ワシントンのスミソニアン協会に寄贈されました。
アメリカ人の多くはホープの名前や呪いの話は知っていても、その色を言える人は殆どいません。
そして、その神秘的なレッドの蛍光について知っている人は更に少ないのです。
そのためホープは、「有名なダイヤモンド」「ファンシーカラー」「蛍光」および他の色について話す良い糸口として、今日も世界のジュエラーの店頭で語り継がれているのです。